陳 慶立の自己紹介
大学の学部時代の専攻は政治学であり、特に国際関係の分野に興味があるため、外交官を目指したこともあった。国際政治や、国際法などの授業以外に、日本政治や米国政治という科目をも選択した。課外活動では、県長(知事に相当)や立法委員(国会議員に相当)の選挙活動に関与し、政治家と接触し、触発されるチャンスに恵まれた。こうした経歴を通じ政治理論と実務への理解を深めた。
大卒後、陸軍少尉の養成試験に合格し、4カ月の厳しい訓練を経た後、最前線である中国福建省沿岸の金門島に派遣された。2年近くの兵隊生活で軍事作戦の戦術面における実務の外、軍事戦略の知識も最前線で学習することができた。
退役後、日本交流協会奨学金を受け3年間日本に留学した。1年目は研究生として主に日本語を積極的に学習し、さらに日本の歴史や社会文化などの認識を深めた。翌年、図らずもトップの成績で、国立名古屋大学国際開発研究科に入学することができ、より高度な授業を受けつつ、研究に熱中した。海外研修では指導教官と大学院生でインドネシアに赴いて、環境保全における国際協力のあり方をテーマに1ヶ月のフィールド調査を行ったことが、大変貴重な経験になった。
出発前は先進国の日本における環境保全政策と現状を調べ、途上国でその研究と実態の比較を行った。日本に帰る前にインドネシアの大学で英語を用い、研究成果を発表した。このような訓練は国際視野が広げられただけではなく、アジアの隣国への認識を深められ、英語力の実践にも役立った。3年目は日本語で論文を完成し、Aの評価を得た。テーマは「日本の対中援助」である。日中関係と援助の歴史を検証し、日本の対中援助の動機を探り、その援助の政治と経済効果を分析した。日本3年間の磨きで日本語能力試験の一級検定に合格し、日本外交の仕方、日中関係などに一定の理解ができたと自負している。
台湾帰国後は、三菱商事の台湾支店で1年間勤務した。その後、縁あってNHK台北支局に転じ、記者職として7年間を満了するに至った。政治、経済、軍事、社会、生活など情報の種類を問わず、ニュース価値があると判断したものに関し多面的な取材と報道作業に携わってきた。勤務時間後に今年92歳になる劉元孝先生の私塾に通い、週に3時間、漢文学と候文を8年間学習し続けてきた。劉先生のお陰で戦前の日本の公文書が読めるようになった。
記者の仕事を通じて人脈を作る以外に、社会科学の幅広い面に触れ合うことも出来た。ニュースレポートの制作はミニ論文の作成と似ている。この8年間はニュース報道の第一線に立ち、中台関係と日台関係の変化を観察してきた。日本交流協会前台北事務所長の内田勝久氏をインタビューした経験がある。前駐日代表の羅福全博士と食事会などで数回にわたり長くご見解をうかがう機会もあった。そうした機会に恵まれたことで、社会科学の一般知識、特に中台、日台関係について理解を深めることができたのは幸いだった。よって、そうした環境を与えてくれたNHK台北支局や数多くの日台関係者に深い感謝の念を抱いている。
現在、台湾版のNHKとも言われる公共テレビ台に勤め、研究員として日本メディア関係を担当している。振り返ってみれば、帰国後には10年近く仕事してきたが、日本と関連するものばかりだった。というのは、当時もし日本交流協会から奨学金を頂かなければ、日本留学の夢を叶えないし、帰国後待遇の悪くない職につくことも出来なかっただろう。よって日本政府に感謝しております。
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